柳清会報 2021年2月号 臼田ブロック版
臼田ブロック会長あいさつ
栁田清二氏が市長となり3 期目の集大成となった昨今、臼田地区では、新小学校の建設や、佐久臼田インター工業団地の整備、臼田総合運動公園の大規模改修など多くのハード事業が行われています。
また、一昨年10 月の東日本台風では佐久市の中でも臼田地区は特に多くの被害が発生した状況下の中、地元住民の声を聴き、国・県と折衝し早期復旧に努力されています。
多くの人との対話を重視しながら、強いリーダーシップを発揮している栁田市長には、今後も佐久市のみならず佐久地域の発展のために寄与されるよう強く望むとともに、今まで経験したことのないこの新型コロナウイルス禍のさまざまな問題を解決し、「快適健康都市佐久」を実現し一人一人が幸せを実感できる佐久市の構築を進めてもらいたいと考えます。
柳清会臼田ブロック会長 春山光男
【市政報告】臼田地区新小学校の安全な通学路のために!
臼田地区内4小学校ごとに、PTAや教職員等で構成された「通学路検討部会」が設置されています。今、この部会は、それぞれ新小学校で想定される通学路について議論し、令和3年2月末までに通学路マップを提出して頂くこととなっています。その検討の中で、危険箇所も浮き彫りになってくると思います。
当初から課題となっていたのは、国道141号バイパスの横断です。国道は、佐久市の南北を貫く大動脈であり、現在の在校生にあてはめますと、247人が横断することになりますので、どうやって、横断するのかは大きな課題でした。平成30年6月、楜澤教育長が、佐久建設事務所に事情を説明し、歩道橋設置をお願いしたところ、「県においては、費用がかさみバリアフリーの観点からも不具合があるので新たな建設は行わない方針」とのことでした。
私は、報告を受け、『県の方針となると、このハードルは相当高く、深刻な状況にある』と認識しました。そこで、佐久市一丸となって立ち向かわなくてはならないことから、学校関係者に加えて、区長会、臼田地区市議会議員団、佐久市選出の県議団等々、連携できる方々にお願いし、運動を進めて参りました。
去る、11月24日、県庁において、田下県建設部長に対し4人の地元県議、臼田地区区長会長、同席を頂き、私と教育長名で要望書を提出し、改めて、新校開校には歩道橋が不可欠であることを訴えました。
結果、部長から「令和5年度の開校までに横断歩道橋の設置に向け検討する」と明言して頂きました。
県の方針に例外を作るということは、とても大きな成果なのです。県議さんの応援がなくては、成し得ないことでありました。この歩道橋建設により、安全度が高まることと、国道を走る自動車等も渋滞を引き起こすことなくストレスのない走行が可能となります。
ご関係各位のご協力ご理解に感謝申し上げます。
【市政報告】佐久臼田インターチェンジの工業団地と臼田総合運動公園のリニューアル
平成30年4月、長年の建設促進運動を続けていた中部横断自動車道が八千穂高原まで延伸しました。上信越自動車道と北陸新幹線、そして中部横断自動車道が整備されたことは、100年先も含めて佐久市が交通の要衝となったといえると思います。
佐久市は、特長ある発展を目指している中で、臼田を『高速交通網の充実したエリア』と定め、これを生かすために工業団地と運動公園に着眼しました。佐久市は、活断層がなく天災の少ない地域であることを生かし、リスク分散をアピールして、用地取得事業補助金制度を設けたところ6社の企業誘致が成功しました。この成果を拡大させるために佐久市南部に位置する佐久臼田IC西側を新たに工業団地として建設することを決定しました。将来を見渡すと中部横断自動車道が佐久市から太平洋まで繋がり、工業製品の輸出入においては、横浜港や新潟港に比べて清水港が利用しやすい港になります。また、造成費用をどうやって圧縮するかという課題には、比較的近くからの「土」の移動が求められます。同時に議論が進んでいた“高速道路を生かしたまちづくり“というテーマで臼田総合運動公園をリニューアルさせ、広範なエリアから人を呼び込み、交流人口の拡大を図るという発想がありました。
2つの考えを組み合わせ、運動公園をリニューアルする中で、搬出しなくてはならない「土」を工業団地の造成に活用することにしました。
工業団地は、5区画(内、1区画は地元企業用)が、本年令和3年夏に完成し、これまでに3区画の売却先企業を選定いたしました。今後も積極的に企業誘致に対応して参ります。
運動公園は以下の事業を令和6年までに完成いたします。
- 運動公園内の高低差の解消
- テニスコートの増設 8面→10面
- 臼田総合運動公園宿泊棟の改修
- 駐車場の増設
これ等の整備を行い、佐久総合運動公園や県立武道館とも連携し、大会や合宿等々、利用促進を行って参りたいと思います。
【市政報告】県道三分中込線の今
図の通り、三分のT字路を貫き、反田農道につなげるこの工事は、具体的に測量も始まりました。この道路整備は、三分中込線バイパス推進対策協議会が中心となって運動展開が成されて来ました。毎年、県庁に赴き、私も一緒に地元県議にも立ち会って頂き、陳情活動を繰り返して参りました。
朗報として、これまで片側歩道の予定でしたが、今年度の要望活動の中で両側歩道となりました。
【市政報告】五稜郭整備と大給恒公の顕彰
令和5年春に、臼田地区新小学校が開校し、今の小学校は使命を終えます。臼田、切原、青沼小学校は耐震性もあることから利用出来るかを検討していかなくてはなりません。 一方、田口小学校は、国史跡「龍岡城跡」の中にあることから、文化財保護の観点から取り壊すこととしています。
そして、計画的に整備を行っていくべく、佐久市国史跡龍岡城跡保存整備委員会を設置し、令和元年から史跡龍岡城跡整備基本計画の策定に向けて、議論して頂いています。
一方、五稜郭の整備を行うことに加えて、最後の藩主大給恒公の顕彰を行うべく、佐久市大給恒顕彰委員会を令和元年から設置しています。私は、佐久の先人を現代の人々が関心を持って知識を深めることは、極めて重要だと思います。先人は、地域の発展を願い大きな成果を残されました。つまり、私達は、先人の功績の恩恵を被っているのです。先人は、現代人の恩人なのです。臼田地区には、先人をたどることの出来る施設が整いつつあります。川村吾蔵記念館は、特化した館ですし、橘倉酒造様、資料館「不動来館」には、井出一太郎先生の功績や思想に触れることが出来ます。佐久総合病院では、若月俊一先生のかつての「のらくろ会」において、田川水泡氏の功績をたどる資料の整理が一定程度成されています。
五稜郭入口の「であいの館」では、一部大給恒公の資料が
ありますが、専門家の先生にもご指導を、地域の方々にはご
協力を頂きながら資料を整えていくことになります。
大給恒公は大別して、3大偉業を数えることが出来ます。
一 龍岡藩藩主(龍岡城築城主)
一 日本赤十字社前身博愛社の設立
一 日本勲章制度の確立
幕末から明治期に残した足跡には、目を見張るものがあります。私は、幕府側の立場であった大給恒公が薩長土肥を中心とした新政府で大きな活躍が出来たことを不思議に思っていましたが、ある時、専門家の先生にその疑問を呈したところ「フランス語が出来たことと、人としての優れた資質があった」という回答を頂いたことがあります。
この魅力的な大給恒公の顕彰を整え、人口に膾炙(かいしゃ)されることを願って止みません。
小学校が統合されてから事業を始めるのではなく、切れ目のない対応を図るため、早め早めの議論に努めて参りました。
画柳点睛 稲荷山公園失われた巨大塔
現在、市民の憩いの場となっている稲荷山公園のシンボルは、コスモタワーとローラー滑り台ではないでしょうか。
ローラー滑り台はこの程リニューアルされます。昨年秋に滑り台は撤去され、工事が進められています。建設完了は、令和3年3月が予定されています。
下図は、プロポーザルの際、提出されたイメージ図ですが、これまで以上に地域の皆様に親しまれ、良い思い出が生み出されることを願っています。
もう一つのシンボルであるコスモタワーには、多くの人々に忘れ去られた歴史があることを記述しておきたいと思います。今あるコスモタワーの高さは、34.9mですが、かつて同じ場所に33..3mの塔が存在したことを。
時代は、遥か遡り昭和4年、1929年、今から92年前に、この塔は建設されました。
大正15年(1926) 12月5日 大正天皇 崩御
昭和2年 (1927) 2月7日 大喪の礼
昭和3年 (1928) 11月10日 昭和天皇 御即位
11月14日 大嘗祭
皇室典範により、いくつもの行事が京都で行われました。また日本中で、御大典奉祝行事が行われました。臼田町では、各戸必ず一人以上が礼服を着用して参集し、小学校で奉祝宴会が催され、青沼小学校では記念事業として「奉安殿」が建設されたのでした。その折、地元の建設業者であった林茂吉氏が私財を投じて、御大典記念塔を建立し、町へと寄付したのでした。その揮毫(きごう)は、玄洋社の総師、頭山満、裏には、浅井洌による奉祝歌が刻まれていたといいます。
時は流れて、昭和19年。大東亜戦争での日本の敗色の濃くなって来た頃、本土決戦の際、敵の攻撃の標的になるからという理由によって、撤去することが検討されました。その際、寄贈した林氏に了解を得るべく、関係者が説明に赴くと了としながらも、「標的になり臼田の町が被害にあうことは、本望ではないので了解するが、千曲川だって標的になるだろう。あの塔を撤去するならば、千曲川に蓋をしてくれ。」と言ったと聞いたことがあります。林氏にとって、どんなに悔しかったのかが伺えるエピソードです。
昭和という元号は『書経』の中の「百姓昭明.協和万邦(百姓昭明にして、万邦を協和す)」から取ったものです。意味は~国民一般が一致して世界平和に邁進する~というものでした。しかしながら、願いもむなしく昭和の初期は、戦争の時代となってしまったのでした。
林茂吉氏が寄贈し、撤去された塔の残った土台を用いて、戦後、戦没者慰霊碑の礎石としました。この慰霊碑も老朽化が進んだため、佐久市遺族会の皆様のご意見を賜る中で、再建立を平成26年に行いました。
稲荷山公園のシンボルの一つであるコスモタワーは、「星の町・臼田」の象徴という意味でロケットの形をしていますが、もう一つ、林氏が寄贈し、時代の渦に巻き込まれた、戦中撤去された塔への思いが込められていると文献には記録されています。
今年度、リニューアルされる稲荷山公園のローラー滑り台に足を運ばれた時などには、思い出して頂きたい話です。
事務局よりお知らせ
後援会行事は当面見合わせています。
現在、従来のような皆様にご参集いただいての市政報告会などの行事を見合わせております。今後の計画は、新型コロナウイルス感染症の拡散状況を見ながら検討して参ります。
ツイッターはホームページからもご覧いただけます。
ホームページが新しくなりました!市長のツイッターや、柳清会会報などもご覧いただけます。
ご意見・ご質問なども承りますので、ぜひ、ホームページをご利用ください。
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