柳清会報 2020年12月号 中込ブロック版
中込ブロック会長あいさつ
昨年の令和元年東日本台風(台風19 号)による中込地区での被害は甚大なものでした。滑津川や田子川が氾濫し、多くの方が避難を強いられました。新しい中込会館は避難所として地元の皆さんに安心を与えた一方で、停電時の対応など新たな問題も浮かび上がりました。また、避難中に誘導指示に従って移動したにもかかわらず、大変不幸な結果となってしまったことなど、この災害で考え直さなければいけないことが浮き彫りになりました。
このような非常事態に栁田市長は、いち早く被害状況を自分の目で確認し、阿部県知事と共に被災地を視察し、単なる復旧ではなく災害に強くなるために改良復旧を県と約束を取りつけました。そして「災害のない佐久市から、災害に強い佐久市に」と新たなテーマを掲げ、今すべきことを冷静に分析し行動されていると思います。
今年は新型コロナウイルスの影響で従来の後援会活動ができませんが、この会報をご覧いただき、感想やご意見を後援会にお寄せいただくことで、栁田市長へ皆様の考えをお届けできればと思います。
栁田市長にはまだまだ佐久市のために力をふるっていただきたいと思いますので、これからもより一層のご支援をお願い申し上げます。
柳清会中込ブロック会長 上原 勉
【市政報告】佐久市独自の判断「瀬戸地区の土砂搬出場」
去年の台風19 号を経験して、住民の皆さんが、河川の浚せつについて、沢山の要望が出ることは、自明の理でした。限られた県の予算でこの大きな要望に対してどうしたらいいか、大きな課題でした。
そこで思い付いたのが、土砂搬出場の建設でした。浚せつ工事で、大きな問題は、河川内にある土砂を取り除いた時のその土砂を持って行く場所をどうするかということです。民間企業で持っている土砂搬出場は、搬入費用が嵩み、場合によっては、浚せつ工事の過半がそのコストとなることもあります。
一級河川管理は、長野県で行われることが基本です。しかしながら、この災害を経験する中で、県に対し要望を重ねて縦割行政を続けていても、佐久市民の安全は高まりません。そこで、佐久市で独自の土砂搬出場を設けて、その場所を県が行う浚せつで出た土砂を搬入させ、浮いた予算は浚せつに充てることで、より早く、より多く、浚せつを行い地域の安全を確保することとしました。
新たな土砂搬出場は、佐久総合運動公園北東の窪地です。市民の皆様のご理解を賜りますようお願い申し上げます。
【市政報告】佐久総合運動公園クロスカントリーコース完成
11月15日に竣工式が行われました。これまでに、マレットゴルフ場、第2種公認陸上競技場、補助競技場、野球場が整備されて来ましたが、クロスカントリーコースの完成により、公園内の競技施設全てが整備完了となりました。
クロスカントリーコースは、全長1.4km、幅員3.66m、ゴムチップ舗装、照明設備を完備し、一般来園者のコース横断を制限した専用コースで、身体への負担軽減に配慮し、安全に、一年を通して利用可能という特徴を持っています。このコースを計画するうえで、当時、佐久長聖高校駅伝部の両角監督(現在、東海大学駅伝監督)や、現在の佐久長聖高校駅伝部の高見澤監督にご指導を頂きました。内容では、距離(端数を設けず、100m単位)と斜度(概ね5%以下)に加えて、ノンストップとするため、幹線園路との交差地点は、アンダーパスとオーバーブリッジを用いています。その様なご縁があり、両角監督より竣工式に祝電とお祝いのお花をお届け頂きました。
また、施設整備の予算獲得(社会資本整備交付金)に当り、地元の井出庸生衆議院議員と片山さつき参議院議員(平成30年柳清会新年総会でご講演いただきました)にご相談させていただきました。
多方面から注目されていて、今後は、地元の駅伝部や陸上部の皆さんに加えて、県外、首都圏からも利用されることになると思われます。
この様な事業が順調に進みましたのは、後家山・宮田地域開発推進協議会の皆さま、競技団体の皆さまのご理解、ご協力の賜です。ここに改めて心からの感謝を申し上げます。
【市政報告】令和3年NHK大河ドラマ「青天を衡け」と内山峠
来年の大河ドラマの主人公は、「日本資本主義の父」渋沢栄一です。渋沢栄一の稼業は、藍玉の商いでした。渋沢家では、一年に2~4回商用を兼ねて、佐久を訪れることを通例としていました。上州(群馬県)と信州(長野県)の境には、いくつもの峠があります。天下の公道は碓氷峠のある中山道ですが、費用と時間を節約するため渋沢家はじめ民間の物流は、脇道利用が多く、下仁田、香坂峠、岩村田というルートや内山峠を越えるルートを利用していました。
渋沢栄一と義兄の尾高惇忠が稼業の藍を信州へ売り込みに赴く途中で「巡信記詩」という漢詩集を認めています。農夫であった2人は、漢詩について語り、漢詩を作ることが唯一の楽しみであったそうです。この巡信記詩が作られたのは、安政5年(1858年)渋沢17歳、尾高27歳。教養の高さがうかがわれます。
その作品中に険しい内山峠を登り信州に向かう心情が表現されています。
「勢衡青天攘臂躋氣穿白雲唾手征」
勢は、青天を衡き臂(ひじ)を攘(かかげ)て躋(のぼ)氣は、白雲を穿ち手に唾して征(ゆ)く
[意味]青天を突き刺す勢いでヒジをまくって登り、白雲を突き抜ける気刀で手に唾して進む。
この漢詩は、澁澤青淵先生内山狭え詩と言われ、内山肬水の岩壁に刻まれています。この漢詩から引用され「青天に衡け」という大河ドラマの題名となっています。
令和6年(2024年)には、渋沢栄一が一万円札の図柄となることも考え、市として工夫し、情報発信していきたいと思います。
【市政報告】佐久市公共建築物と煉瓦調
昭和49年に建設された佐久市役所は、レーモンド設計によるものです。昭和36年に合併して再建団体としてスタートした本市は、財政面では苦労の多い自治体でした。その苦しかった時代を経て、バラックと言われた本庁舎を改め、将来に亘って、街の中枢を担うに相応しい建物にしようとした初代依田市長の思いが伝わる素晴らしい市役所だと思います。
レーモンド設計事務所の創設者アントニン・レーモンド(1888-1976)は、帝国ホテルの設計を行うなど、第一級の建築家でした。建物の美しさに加えて、煉瓦調であることがお洒落さになっていることを誇りとしています。ふと気が付くと、中央図書館、近代美術館、市役所横の保健センター…何れも煉瓦調なのです。この統一された点は、何かの意図によるものではなさそうでした。私は、佐久市に多くあるカラマツに関係しているのではないか…と思っています。色合いもマッチし、市木となっているカラマツは、市内に多く植えられています。春の芽吹きも秋の紅葉も、その美しさと煉瓦調の建物は、とても良い組み合わせです。
このことから、佐久市の公共建築物には、可能な範囲で、この煉瓦調を取り入れて来ました。耐震工事後の佐久市役所本庁舎、臼田支所、浅間会館、佐久消防署、北部消防署、佐久平クリーンセンター、佐久平斎場等が煉瓦調となっています。
今後、将来において、この一定の統一された建物にマッチする樹木として、カラマツが選ばれ、時代を越えて、再び煉瓦調の建物が整えられていくと、佐久市のイメージが定まっていくのではないかと思っています。
佐久市は、暮らしやすさを研ぎ澄ましていきたいと思っていますが、そこに景観としての心地良さにつながることを期待しています。
【市政報告】内山牧場キャンプ場の高まる可能性
近年のアウトドアブームから妙義荒船佐久高原国定公園内の「内山牧場キャンプ場」、「荒船山」にはアクティビティを求め、県内外から多くの観光客が訪れております。
このことから周辺整備とソフト事業の両輪により、内山地区をはじめとした地域の魅力発信、経済活性化を図っていくことが重要であると考えております。
内山牧場キャンプ場においては、老朽化したトイレ、シャワー、炊事場の改修を行い、また、キャンプ場の多様性の対応や地域の商品等販売場所として、簡易コテージ2棟の整備、加えて地元野菜の販売の実施など、利用者の利便性向上と経済循環を図っております。
また、荒船山の登山者が増加する中で、市政懇談会において、登山口へのトイレの設置要望がありましたことから、仮設トイレの2基の設置を行い、利用者の利便性向上と衛生環境の保持に努めています。
さて、内山牧場キャンプ場の利用者は、平成28年から平成30年までの3年間で2倍以上に増加、これは全国的なキャンプブームだけでなく、荒船山をはじめとした山々や頭上に広がる星空など卓越した地域の景観が高い評価を得て、口コミやSNSにより拡散されてきた
ことが人気の要因と分析しています。
コロナ禍において、アウトドア、テレワーク等の需要は、ますます増加していくと考えており、社会情勢、利用者ニーズに合わせた整備を今後も計画的に行うとともに、市内、広域のキャンプ場とも連携による新たな事業展開を模索し、新たな地方創生にチャレンジしていきたいと思います。
【市政報告】中込地区の新しい保育園
平成29年に内山保育園と平賀保育園が統合し、城山保育園が設置されました。「佐久市公立保育所の今後のあり方について」には、保育園の施設規模は、100人以上を原則とすると定めており、その基準に合わせた対応でした。同様の対応として、今後、老朽化が進んでいる中込第一保育園と中込第二保育園について、地元からの要望も踏まえ、統合も含めた施設整備が検討されています。統合した場合の園児数は、現在の両園の園児数を合わせて、160人程になります。
新たな保育園建設は、現地改築ではなく、新たに別の場所に建設していくことも考えています。中込での保育園整備の場所の候補地として、これまで中込小学校周辺が挙げられていましたが、中込駅周辺において、工場の他地区への移転等により、新たに、保育園の建設候補地の可能性のある箇所が生じたことから、中込駅周辺についても検討しています。周辺には小海線における基幹駅である中込駅や中込会館とくろさわ病院さんの複合施設があることによる見守りがされる立地であること。また、中心市街地の有効利用が図られること。毎日の送り迎えや保育園関係者の各種会合によって、中込の賑わいづくりに寄与出来ること等がメリットとして考えられると思います。新しい保育園が整備されると居住エリアとしての魅力も向上出来る可能性があります。今後、中込小学校周辺と中込駅周辺の、具体的な比較検討を行い、候補地を絞ったうえで関係の皆様の意見を伺い、事業を進めて参りますが、ご理解とご協力をお願い致します。
画柳点睛 「知る」ことと「わかる」ということ。
昨年の秋は、240年に一度の大雨となった令和元年東日本台風の大きな被害と、その対応に追われました。台風が襲来した10月12日から数えて5日目に知事が現場視察の為に、佐久市へ来るという情報が入りました。私は、視察場所は、佐久市で決めさせて欲しいことを県庁に伝えることを指示しました。佐久市の希望が叶うことになり、私は、建設部の職員と協議し、中込側から対岸の野沢(中島公園周辺)を確認できるポイントと常和と入沢の3地点を視察場所とするよう願い出ました。
中込では、家屋が崩落した護岸の復旧工事の遅さの対応をお願いしました。結果、この箇所は、権限代行と言って、県に代わって国が工事を行う異例の対応が取られました。野沢原の工事は、権限代行によって、格段に工事の進みが早く、また、拡大しました。
忘れられないのは、常和視察での出来事でした。甚大な被害となった田子川を視察し、私や職員の説明を受けていた知事を呼び止める地元の男性。「常和は、平成11年夏にも豪雨災害があったが、その際、地域も協力して、工事を進めた。それは、2度と被災しないためではなかったのか!あの工事は、不適切だったのではないか!」とても強い口調で知事を攻め立てた姿に、横にいたお嬢さんが、その男性の腕を引っ張り、「お父さん。もう、いいから!」と静止させようとしました。阿部知事は「否。よく話を聞かせて下さい。」と最後まで、その男性の話を聞いていました。
今、進められている常和田子川の復旧工事は、川幅も川の深さも、1m~2m広げて、これまで右岸にしかなかった道路を左岸にも取り付ける計画となっています。知事は、あの日視察し、あの男性から叱責されたことによって、常和に暮らす人の気持ちが理解出来たのだと私は思います。県庁で担当職員からレクチャーを受けて知ることと、現場に立って、被災した人の話を直接聞いて理解することには、天と地程の差があります。
「知る」ことと、「理解する(わかる)」こととは全く別のことなのです。
例えば、終戦後の貧困や困窮について私は、知識としては知っていますが、理解出来ているかというと、本当の部分はわかっていないのだと思います。それと同じように、知っているだけでは不十分で、災害の時には、その実態を理解するために、現場に行き、見て、被災者の話を聞き、状況を十分理解したいと、適切な判断は出来ないと痛感しています。
この経験は、今後の私の活動に生かして参りたいと思います。
事務局よりお知らせ
後援会行事は当面見合わせています。
現在、従来のような皆様にご参集いただいての市政報告会などの行事を見合わせております。今後の計画は、新型コロナウイルス感染症の拡散状況を見ながら検討して参ります。
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